2012年より約10年間プロデューサーを務められてきた松井さん。今年3月にプロデューサー職を藤戸さんに託しました。

その10年の戦いはご挨拶の中でも語られていますが、簡単な道のりではなかったことがうかがえますし、プレイヤーのみなさまも、よくご存じかと思います。

松井さん語るに「振り返ってみると自分の10年間は、「FFXI」を存続させることに重きを置きすぎて、かなり保守的だったのでは」と謙虚なナイトですが、FF11が過去の記念碑とならずに、いまも誰かの戦場であり、帰ることのできる故郷であり続けることにこそ大きな意味があったと今は感じます。



サービス開始当初からすると、SNS等が発達しプレイヤーの声を届けやすい時勢になりました。数々の感謝や労いの声がTwitterでも寄せられましたが、古代から生きるものたちにとってはより濃密にお伝えする手段があります。それが











だったわけです。








松井Pへの寄せ書きは、4月中旬、東新宿にある謎の池のオブジェのそばで始まりました。

みなさまお馴染み、皆川史生さんに可愛らしいセンターを書いて頂きました。松井P&ミュモルということで、素敵なコンビです。

休日にも関わらず東新宿まで駆けつけて下さった方たちに寄せ書きを頂きつつ、気づくと井戸端会議になりはや1時間。自分も含めオススメ民同士は話し始めると時間がワープする傾向にあります。







5月。清々しい晴れ間のもと行われたオンリーイベント「ヴァナマチ5」。主催の星野さんにバックアップ頂き、賛同者を募ったところ、あっという間に準備していた色紙がどんどん埋まり、東新宿の時に頂いた予備も登板しました。(その節はありがとうございました!)

こちらに加え、ミニ色紙を送付頂いた方、オンラインでメッセージを寄せられた方も全て集めて、ついに完成しました。あとはお渡しするだけです。









約10年・・・・・・10年って言われても、なんだか簡単にはイメージできないですよね。そこで、「プレゼンター」は10年を感じられるような人に今回はお願いしました。





「プレゼンター」は約10年前には0歳でした。ちょうど松井さんが田中さんからプロデューサーを引き継いだ年です。プレゼンターは自分の生誕にFF11が深く関わっている(それが無ければ生まれてもいない)ということをよく知っています。そのため、快く引き受けてくれました。





先日、10代になったプレゼンターから、寄せ書き一式をお渡しすることができました。

遠方からいらっしゃった方のこと、北の国などから色紙を送ってきて頂いた方がいたこと、20年間プレイしたかったが当時はかなわず、念願かなって先日新規でデビューした方のこと、などなどお伝えしました。松井さんは、本当にありがたいことです、と笑顔で感謝されていました。

色紙はご自宅の仕事部屋に飾ろうかなと考えておられました。プロデューサー職からは離れられましたが、今後はいちプランナーとして継続されますので、頂いた声が何かの糧になればみなさまも嬉しいかと思います。

最後にお渡しの準備をしている際に、ちらっと「プロデューサーやってよかったなあ」と仰られてました。みなさまの想いが、無事届いたのではないでしょうか。これからも続くFF11をみなさまと一緒に陰ながら応援しています。




それでは、良い旅を!






※寄せ書きにご協力いただきました、皆川史生さん、星野美雪さんをはじめ、参加頂きました全国各地の有志のみなさま、ありがとうございました。

プレゼンターの方は、自分の生誕に深くかかわっているFF11に、深くかかわっている松井さんを「ママ2(ツー)だね!」と呼んでいました。松井さんは、自分だけではないんだよと苦笑していました。おそらく彼女にとっての「ママ」はこの世に数百くらいいるかもしれません。





※(管)の連絡に不手際があり、一部の方に参加要綱をお伝えできませんでした。この場でお詫びいたします。りこららさん申し訳ありませんでした。

終わり